山下雄彦のこんな本読んだよ。

たくさん読んだ本を、お薦めしたり感想を書いていくブログです。一般教養からサイエンス、自己啓発、人体の不思議と雑食的に本を紹介していきます。

日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本  



著者 ケビン・M・ドーク

外国人目線の発掘本ですが、久々に衝撃をうけました。「ナショナリズム」一つで「単一民族国家」を目指すのか「多民族国家」を目指すのかが変わるからです。
ナチス・ドイツは「単民族国家」目差し、大日本帝国は「多民族国家」を目差していたと分析されていた驚きました。

本書はタイトル通りに外国人の目線で日本の素晴らしいところを謳った本ではありますが、同じく日本人の弱点も容赦なく責め立てている本でもあります。

例えば、日本人は論理的に考えることはしないと。
最初は、「おいおい、ドークさん、それは流石に日本人に失礼ではないですか?」と思いましたが、ドーク氏のいうそれは、「感傷主義」なんだそうです。
理論よりも体験を優先する、「綺麗なものを観たら、素直に綺麗だと感じる心」それ時点は素晴らしいことではあるが、それが行き過ぎているのが問題と警告しています。
例えば、戦争反対の武器を捨てればいいじゃないか。その考えは、「自分が戦争に行くのが嫌だから」と自分のことしか考えていない。「自分の大切な人を守る」という考えがないと言い切ってしまっています。

また、ナショナリズムについても、英語が得意でなない自分にとって目から鱗の発見がありました。
ナショナリズムは2つある。それは、「民族主義」と「国民主義」です。ちなみに「国家主義」はステイテイズムであり、ナショナリズムではないそうです。
近代国家の日本は「民族主義」と「国民主義」の派遣争いがありました。
「民族」とは一つの民族で構成された集団であり、「国民」とは一つの政治単位で構成された集団です。
ドイツでは革命派のナチスが勝利し「民族主義」へ、日本は革命派を抑えて「国民主義」となります。
ドーク氏は、日本の「民族主義」が敗れた原因を3つあげています。
1.軍隊では、統制派が皇道派を抑えた。
2.日本の「民族主義」派は「法律的な考え方と法は西洋的」だとして法律を尊重してなかったが、日本人は法を尊重していた。
3.すでに日本は、朝鮮半島の併合や台湾の割譲で、朝鮮人や台湾人を日本人とする、多民族国家だったから。

この発想は、本当に思いもつきませんでしたし、左翼活動する人間がなぜ法律を守ろうとしないのか納得できました。

また、この本は一つの章を使って、アメリカの病についても触れています。
アメリカは共産主義にかなり毒されており、オバマ大統領はかなり左翼的ではあるが目立たないのは、アメリカそのものが左翼的になってるからだと恐いことを書いています。
左翼は「自然を敵として戦う」のも特徴にしています。例えば完全な平等。人間は自然の摂理として男と女に別れます。左翼やフェミニストはそれすらも許せない。いわば平等の為ならば肉体を改造しろ。の、考えなんだそうです。
左翼の一番有名な政党である「ナチス」も自然を無視して統一社会を作ろうとしていた。ナチスをアドルフ・ヒトラー個人の問題と認識すると足元を救われると危惧しています。

最後に、ドーク氏は不戦だと喚く国ではなく自分の頭で思考して自国を守る、普通の国に日本はなって欲しいという願いが本書に込められいます。
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Posted on 2016/06/19 Sun. 19:28 [edit]

category: 一般・教養

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千円札は拾うな。  



著者 安田佳生

本の内容は、好き嫌いは別にして「ああ、こういう考え方があるのか」と納得させられるところはありました。
ただ、著者自身がそれをどこまで実践できていたのか? と、いう疑問が涌いたのも事実です。
本書は2012年発行されたものですから、経営書としては古い本に分類されます。
また、著者は当時はワイキューブという会社の社長であり、新進気鋭の実業家としてもてはやされていたそうですが、このワイキューブなる会社は40億の負債を被り民事再生の申請をしています。

ここまでくると、えー! そんな人の本を読む価値あるのか? と、思う方もいるでしょうが、得てして教訓とは成功例よりも失敗例に学ぶことが多いものです。

なんて格好つけていますが、電子書籍で安かったからポチッとダウンロードし、読んだ後に2012年発行されたものだと気がついて、著者とその会社が現在どうなってるのか検索してみたら、民事再生を申請していたという情報を入手したという次第です。

ここまで、後手後手な対応を行ったのも久しく記憶にないのですが、著者は図太く会社を潰した経験をもとに本を出しているみたいですね、こちらは未読ではありますが。

会社を潰した要因は色々あるみたいですが、自分が気になったのは主に2つです。
 ・新宿2丁目に 家賃1200万の事務所の移転
 ・リクルートを模しての経営戦略
安心してくだい、本著の根幹に関わる考え方と全く真逆のことをやって失敗しています。従って、この本を読むのは全く無駄ではありません。なぜ、著者 安田氏は失敗したのか? これの考察は別の機会にまわしましょう。

さて、本のタイトルの「千円札は拾うな」は、心構えの話です。道ばたに落ちている千円を拾って「得したな」と思うと、次も落ちている千円札を探すようなる。そうなれば、視線は落ちて視野が狭くなり、また千円札に固執すると千円以上の価値のものがあっても気がつくことができない、そんな心理状態にならないようにする戒めです。

棚からぼた餅で良いことがあったら、ついつい人はそれを追い求めてしまうのが本質ではありますが、棚からぼた餅を追い求めてるあまり、それ以上の価値あるものや出会いの発見に気付かない危険性に目を向けるべきです。

これは、経営に関しても同じであり、過去の成功体験の成功した原因の大部分は己でコントロールできないものなんです。

経営戦略が成功した要因の大部分が「経済状況」「流行」「消費者意識」等々だったりします。

経済状態はもとより、「流行」や「消費者意識」も雑誌・テレビの影響力が落ちて、SNSを媒体とした口コミの影響が大きくなったことは無視できなくなりました。

大量生産・大量消費が経済発展の根幹だった時代から、少量・多品種生産へ。安定からスピード最優先への時代に移ったことも忘れてはいけないでしょう。ダイソンやiRobotの牙城を日本企業が崩せないのも、豊富な資金力を使って、同じコンセプトの製品を大量生産してぶつける戦略が機能しなくなった影響もあると思います。

過去の成功例さえ、指標にするには心許ない。では、どうすればいいのか?

過去を振り返るのではなく、未来に目を向けることです。未来に目を向けるということは、成長するということ。
成長が止まった男性の一つの指標がおしゃれだそうです。1つ髪型が変わらなくなった。1つ若い頃使っていたオーデコロンを歳をとっても変えないでいる。そういう傾向があれば、それは成長が止まった証なのだそうです。

なぜならば、全盛期だった自分を変えたくないという心理が働いているからだそうです。

俳優でいえば、田村正和氏や加山雄三氏は今もって若々しくて驚異的ではありますが、若い頃の全盛期をそのまま引きずっているともいえます。なんの役をやっても、田村正和であり加山雄三という不動のイメージがあるのはすごいことではありますが、見本にしたらいけない人たちです。(どう頑張っても、その努力は無駄になるという意味で)

では、見本にするべき人とは、これは私の勝手に決めつけていますが、故石原裕次郎氏と武田鉄矢氏をあげたいと思います。
前述の二人は、歳をとらないことを武器としていますが、この二人は歳を取ったことを武器としています。自分の年齢にあった魅力を引き出すことは、是非とも見習いたいですね。

ここで、著者は自身の体験を元に一つアドバイスをくれています。「自分のことは自分が一番知っている」という考えを捨て、センスがある人のコーディネイトに全て任せてしまうことです。

自分の好みと正反対になる場合もあって、それはとてつもない「苦行」になるそうですが、1年も続けると体がそのセンスになれ、客観的に過去の自分はなんてダサい格好をしていたのか! と、ショックを受けるそうです。

最後に、著者はよく質問を受けるそうです。

リスクを背負うのは怖くはないのか? と。
著者はこう答えているそうです。起業することは確かにリスクを背負うことではある。しかし、起業しなければリスクは背負わないという考え方は間違っていると。
なぜならば、生きていく上で選択する場面は必ずあり、そこにはリスクが潜んでいるのだからと。

最後に著者は人情的ではありますが、ちょっと優しさに欠けるところがあるよう感じました。

Posted on 2016/06/12 Sun. 06:52 [edit]

category: ビジネス

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非言語表現の威力 パフォーマンス学実践講義 どんな素晴らしい話でも、それだけでは伝わらない!  




著者 佐藤綾子


コミュニケーションにおいて、言葉だけでなく表情や仕草といった非言語の情報を受け取り判断するといった話はいろいろな書籍が出ており、根幹の部分では本著には目新しいものはありません。
とはいっても、欧米で確立した学問が、言語も仕草や文化が異なる日本人にそのまま当てはめていいのか?
そういう疑問をもった方には一読する価値はあります。なぜなら日本人を相手にした追試を行われた上で、執筆されているからです。

また、オバマ大統領や安倍首相の演説やSTAP細胞で一躍有名になった小保方氏の謝罪記者会見の分析を行っています。特に、阿部首相は第1次と第2次の比較もしており科学的に分析しています
1次とくらべて2次では格段に身振り手振りや表情の生かし方に磨きがかかており、また言語のほうも「より分かりやすい」言葉と文の構成となっています。なぜなら、コミュニケーションとは、相手に理解してもらうことが大前提なのですから。
この辺は、「同じ内容」の話をする上で「相手」によって「単語」や箇条書きのように話す必要が出てくるということです。
特に最近は「カタカナ」の一言で片付ける風潮がありますので、気をつける必要がありますね。


さて、相手に納得させるには「分かりやすい言葉を使って」理解されることが大事なのですが、もう一つ大事なのが「相手の感情を逆なでない」ことも大切だと説いてます。
相手の感情を損ねないなんて当たり前の話ではないか! と、怪訝に思う人もいるでしょうが、これは謝罪をする場面で多くの人がやってしまっている過ちではないでしょうか。

それは、謝罪の言葉を発したあと申し開き(又は弁明)を行ってしまうことです。

これは、かなりの方は身に覚えがあるのではないでしょうか。少なくとも私は、自分のミスの報告でこの手の失敗をやった覚えがあります。
本著では小保方氏の謝罪を題材にして説明していますが、「謝罪の言葉のあと、直ぐに申し開きを行う」ことは、単純に「言い訳」にしか聞こえないということです。
「申し開き」は、あくまで先方が「謝罪」を受け入れてから行うべきであると、著者は語っています。
ここで、重要なのは「申し開き」を行うことが問題ではなく、「自分は悪くない」という態度だと思われ、「謝罪をしていない」と判断されてしまいます。


また、「怒りの地雷」を避けるために、あえて間違った文法を使うことも推奨されています。

例えば緊急の仕事を依頼された場合。

「分かりました。しかし、この仕事の後に取りかかります。」
「分かりました。そういうわけで、この仕事の後に取りかかります。」

どちらも、緊急の仕事を直ぐに取りかからないのは同じですが、「しかし」を使った正しい文章の方が反感を持たれるそうです。
なぜなら、「しかし」「だけど」「ただ」といった言葉は否定されたと、判断されるからだそうです。


これは本当に有効なのか、変な日本語と突っ込まれないか、試すチャンスが訪れないのが、目下の悩みではあります。

Posted on 2016/06/04 Sat. 11:02 [edit]

category: 一般・教養

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