山下雄彦のこんな本読んだよ。

たくさん読んだ本を、お薦めしたり感想を書いていくブログです。一般教養からサイエンス、自己啓発、人体の不思議と雑食的に本を紹介していきます。

7日間勉強法 ~効率よく短期集中で覚えられる~  



著者 鈴木秀明

この本は、試験勉強のための方法論を説いてます。
試験というと受験や学生がやらされるテストを思い浮かべる人がいるかと思いますが、社会人になってもさまざまな資格を得るために試験を受ける必要があります。この本はあえて試験対策に的を絞った勉強法となっています。そして、著者である鈴木氏も、「この勉強法は、思考を高めるためのものではない」と明言しています。

短期で結果を出すためには「戦略」が必要である。
結果とは、試験に合格する条件を知る必要がある。
過去の問題集を収集分析して、出題されていない範囲は勉強しない。
過去問題は理解するより、暗記しよう。
隙間時間に勉強するのではなく、勉強時間を割り当てるよう生活を見直そう。

これらのことは、著者が受験勉強で東大に現役合格して、現在さまざまな資格を500以上とったことから、確立した勉強法ですから説得力があります。そして、ああ、確かにこの勉強法は試験対策に特化したもので思考を高めるものではないと理解できました。
だからといって、この勉強法は効率は高いのは確かですから、覚えたものを忘れない工夫をすれば良いのです。また、仕事に必要な資格を取るためにこの勉強法を取り入れたとしても、仕事においてこの知識を活用していくことで思考を高めるチャンスはいくらでもあります。
要は一つの勉強法に固執してしまうことこそ、危険ではないかと思うのです。

勉強は戦略であり、「なんの為の勉強か」によっては、一夜漬けといった即席の勉強もありですね。
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Posted on 2017/08/12 Sat. 18:37 [edit]

category: 自己啓発

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加藤諦三の文書の書き方考え方  



加藤諦三著

こちらの本は、文書を書く為の技術的なものはほとんどありません。
心理学者というか、加藤諦三の考え方は心理学をベースに話を構築していくのは業というか宿命というか、本書でも自白してますが自分の興味があるものしか書けないと暴露しています。

文書を書くことは、モノの本質を掘り下げていく行為に似ている。

ですから、「文書が書けない」のは、そもそも書こうとしているテーマを間違っている可能性が高い。
そして、当事者でないと掘り下げることはできない。

外から眺めて「解説」を書くことや、いいかっこうをしようと瞬間に書けなくなる。
少なくとも、その文章を読んでも人の心は何も響かない。

冒頭で、飼い犬のことを書いてる人が出てきます。
この人は、雑種である飼い犬が大好きでたまらないから、ドンドン犬のことを書くことができる。
犬が病気になって生活が乱れても、それが苦にならない。
もう一人、コリーを飼っている人が出てきますが、この人は文章を書くことができない。
文書を書く動機が自慢だから。飼い犬のコリーそのものに興味がない。コリーが病気になっても、関心がなくコリーが死んでも次の血統書付きの犬を用意する。そんな人には、他人の心に響く文章はかけない。

人は自分の興味のあるものしか書けない。だから、他人のウケのよい文章を真似ても、同じようにウケのよい文章にはならない。

文章を書くには練習が必要。でも、最初は考える必要は無い。
最初は「書くことがない」から始めよう。 「あ、私は」が抜けていた。 「私は、書くことがない。」
そうそう、「何も」も抜けていた。 「私は、何も書くことがない。」
次には、面白い本を読んだら 自分が書きやすいように「真似てみよう」
まずは、書くことを習慣にすること。

昨日書いたものを、今日は言い回しを変えてみるとか。

本当に思ったことを書いてみる。

それが、自分が興味のある文章を書くことに繋がる。

最初は、自分しか分からない書き方でもよい。文書で遊ぶ感覚で手直していく。
それが文書を上達する早道。

それにしても、著者はイソップ物語が好きなようで、「やさしい人」では「ヒナギク」が主人公でしたが、今回は「カササギ」が主人公として出てきます。

「ワシが羊を捕まえるのをみて、カササギがワシのマネをしたら羊の毛に絡まってしまい、羊飼いに捕まってしまった」という話。

自分が何かで挫折してしまったとき、「自分はカササギをしてないか、反省してみることである」また、「私はダメ」だと言ってる人も同じである、その人がダメだから上手くいかないのではなく、「自分がカササギで受け入れてない」から上手くいかない。

これは、文書を書くことでも同じであると、心理学的な話がわんさかと出てきます。

著者の加藤諦三の本が好きならお薦めしますが、そうでない場合は必ずお手をとって確認をしてください。
でないと、「良いこと書いてあるけど、私が知りたいのはそれじゃない」となる場合があります(笑)

Posted on 2017/06/17 Sat. 14:44 [edit]

category: 自己啓発

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決断の作法 ~決断なんて1秒あればいい~  



著者 桜井章一

著者の桜井章一氏は、雀荘の親父です。アウトローまでは言いませんが、世間一般的には避けられる職業であるとご自身も言っていますが、立場変われば世間の見方も変わる。ああ、社会をこういう目で見ている人もいるのだな。と、思わされた本です。
某大手のレビューだと、評価がさんざんでした。確かに胡散臭い部分はあるのですが、直感力というか「欲にくらんだ計算」は判断を間違えるという考え方は間違っていないとは思いました。

さて、本著は「会社」勤めをしている人間は「決断をしていない」とバッサリです。
「いや、そんなことはない。自分には決定権がある。」この声には、それは「誰が決めても問題のない」ものだとけんもほろろです。
本来、「物事を決める」ことは、困難(困難、危険)を伴うものであり、上司の承認を得る「決断」は「決断ではない」という考えが、桜井氏の根本であります。

だからといって、桜井氏は「会社を辞めろ」とは言ってません。何か一つ、「自分で決定するものを見つけろ」です。
そのためには、今の自分の身分や立場(会社や学校)に「しがみつく」ことはやめなければならない。
「しがみついている」と、アクシデントでその身分が無くなった場合、学生なら「ニート」会社員なら「リストラ」となった場合再起は苦難である。
なぜなら、「学校が悪い、会社が悪い」と彼らは考える「共通の弱点」があるのだと。

この辺は、反発くらいそうではありますが、一理あるかもしれません。
虐め問題や、ブラック企業が発端による「自殺」問題も、この辺り関係あるのではないでしょうか。
問題に対して「真正面から戦う」ことは勿論大切ではありますが、
その戦うことが「溺れる者は藁をもつかむ」行為であったら、力尽きたら沈んでしまいます。
日本においては、「我慢は美徳」ではありますが、「我慢が報われるとは限らない」ことも同じく大切な考えを忘れてはいけないのかもしれません。

「友達」と「仲間」の違い
桜井氏には「友達」は作らない主義だそうだ。
なぜならば、「友達とは、お互いの都合のいい関係に過ぎず、そうでなければ簡単に裏切る存在」なのだそうだ。
逆に「仲間とは、意見の合わない人や気にくわない奴もいるが、そういう個人的な感情を超えて繋がっている人間関係」なのだそうだ。

この辺は、どうなのだろう?
自分にとっては、「意見や気にくわない奴がいるが、利害関係が一致という絆で結ばれている人間関係」が「仲間」という認識なのですが。
まさに、会社の同僚は「友達」ではなく「仲間」の方がしっくりしますし。
「友人」にも「意見が合わない」部分や「気にくわない」部分があっても、繋がっている」ところはあると思うのですが。

まあ、「仲間」を「好き」なる必要はありませんし、「好き」じゃなくても「信用できる」相手が「仲間」という感覚は納得できます。

「そんじょそこらにいない人間」
そんじょそこらにいない人間は、決して判断を間違えない。なぜなら、自分を計算にいれていないから。
「何が、一番大事か? それを考えて、自分のことは二の次にするからだ。」
難しいですね。でも、「決断には困難が伴う」ならば、この考えは基本中の基本なのでしょう。
そして、そんじょそこらにいない人間になるためには、自分にしかなれない人間を目指す。そのためには、「最低限自分との約束」は決して破らないこと。
「自分自身との約束を破っても、誰にも分からない」だからこそ、なによりも優先しなければならないこと。

この「決断」が、自分に勝つことであり、人生を面白くすることにつながり、「そんじょそこらにない生き方」に繋がる。

俗にゆう、「信念を貫け」という話になってしまいますが、「朝5時に起きると決めたら、前の日がどんなに遅く寝ても5時に起きる」ことも「信念を貫く」ことになるという発想は面白いと思います。

Posted on 2016/12/04 Sun. 13:41 [edit]

category: 自己啓発

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執事だけが知っている世界の大富豪58の習慣  



著者 新井直之

 まず、この本を読んでビックリしたのが執事という職業が「人材派遣」という形で成り立っているということです。まさに、自分の知らない世界がそこにありました。
 そして、分不相応って言葉も脳裏に浮かびました。いや、これは乗り越えられない身分があるとか、生まれが悪いと大富豪になれないとかそういう意味ではなく、自分の生き様に合ってない「生き方」を選択したら、例え億万長者になっても幸せに生きることは出来ないのだろうな。そういう意味で、人生を謳歌した結果が大富豪になるのが正解であり、この本に示す習慣に窮屈さを覚えたなら単なる富豪を目指した方が幸せになれるはずです。(笑)

 大富豪と一般的な人々とは、全てにおいて価値観が違います。例えば、日本人は働き過ぎだ。休暇を取っていない。一人あたりのGDPが低い等々のネガティブな情報が蔓延してますが、大富豪はプライベートと仕事の垣根がないに等しく、家族との長期休暇中に平気で商談を盛り込むなんてことを行っています。また、ある大富豪は、カレンダーに色がついていると気が散るというので、黒一色のカレンダーを作らせたそうです。ここで、話が終われば「へぇー」大富豪と呼ばれる人は変わった人もいるんだね。で、済むのですが、カレンダーの色が理解出来てないということは、土・日・祝日が理解出来てないということなので、相手が休日であろうが容赦なくアポイント取ろうとして執事を困らせることも珍しくないとか。
 このように、大富豪には休日の概念がありませんので、この概念を捨てられない人は大富豪に向いてません。

 また、大富豪は危険を回避することに対して病的までに気を使います。本著では「病的」とは書いてませんが、私が彼らの行動様式を知るにつけ、そう感じてしまいました。
 その一つが「車」による移動です。いや、車による移動は、移動する個室という意味で仕事に集中できる、これが一番の理由なら納得できるんです。電車やバスのような交通機関は不特定多数の人間が利用するため、不要なトラブルに巻き込まれない為に利用しないのだそうです。このくらい用心深いため、大富豪はドアからドアへが移動の基本となります。日本ではドアからドアは難しいことの方が多いため、別の車で駐車エリアを確保するなど執事は涙ぐましい努力もしているようです。
 このように、公共の交通網を駆使して旅行をすることが大好きな人は大富豪に向いてません。

 大富豪がここまで不特定多数が利用する施設避ける習性があることから、彼らはホテルの利用も極力避けます。彼らがあっちこっちに別荘を建てる理由がこれです。もちろん、大富豪が個人的に使うだけでなく、経営している会社員に開放もしているみたいですが。
 大富豪が別宅に泊まることが決定した場合、執事が第一にやることは、別宅中の時計の時間を合わせることだそうです。2~3秒の狂いなら軽い叱責を受け、10秒の狂いだとカンカンに怒るのだそうです。大富豪にとっての1秒がそれだけ大事だということです。
 このように、気が付いたら部屋の時計が10秒以上狂っていても平気な人は大富豪に向いてません。

 上の方で病的と書きましたが、今度は本当の健康についての話。こちらは、賞賛と素直に羨ましいと感じた点です。 大富豪は基本的に健康保険を使わないそうです。いわゆる治療に掛かる金額は全額負担です。なぜ、健康保険を使わないかというと治療のサービスが格段に良くなるそうです。これ、別に金持ちだから医者の対応に差が出るという話ではなく、健康保険を使うと治療に制約が出てくるという、制度上の話です。
 そして、大富豪によっての健康とは「病気じゃない」状態をいうのではなく、今現在よりも、元気でいることを健康と呼んでいることです。所謂、現状維持は彼らにとっての「健康的な生活」ではないわけですね。ここは、普通に見習いたいと思いました。
 このように、日々元気で病院に行くとかえって体調が悪くなる人は大富豪に向いてません。

 最後に、大富豪はともかく執事という職業は映画や小説といった架空のものでしか触れることが出来ませんでしたが、本物の執事の目から見ると「映画の大富豪」がまさに虚構の存在だそうです。
 本物の大富豪は、目立つことを極力避け、地味な黒やグレーのスーツと白いシャツに身を纏います。争いごとは避け、自分が100%勝てる状況でも目先の勝利に目を奪われずに、和解を選ぶそうです。どうしても、戦いが避けられない状態になった場合は、火の粉を被る役を用意するそうです。全くもって怖い話ですねー。
 そして、本物の大富豪はモノには執着しないそうです。自分の購入したものは遠慮なくプレゼントしたり、貸したりする。彼らの頭にはモノが死蔵することが損そのものだという話。
 また、大富豪はすでに社会的に評価がある人物には見向きもせずに、これから芽を出すであろう人物に援助や出資をしてくのも共通した習慣だそうです。なぜなら、彼らは先見性に富んでいるのですから。

Posted on 2016/10/02 Sun. 15:14 [edit]

category: 自己啓発

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幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ  



著者 岸見一郎、古賀史健

前著「嫌われる勇気」から3年後の話です。
青年が図書司書を辞め、教師としてアドラーの教えを貫こうとしたが、挫折をしました。
やはり、アドラーの教えは間違いであることを認めさせるために、再び青年が哲人の元に現れたところから物語が始まります。

「嫌われる勇気」ではアドラー心理学の神髄を語り
「幸せになる勇気」では、アドラー心理学の実践する上での苦難を語っています。

「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解が難しい思想はない」

この一言につきます。

青年は「褒めるな」「叱るな」を実践したら、子供達に嘗められて教室が混沌としてしまった現状を嘆きます。
哲人は「子供のことをちゃんと見ていましたか?」と尋ねます。
この場でいうちゃんととは、「一人の人間として対等に、そして尊敬をして信頼していたか?」です。

人間関係においての「信用」と「信頼」の違い。
「信用」とは条件をつけて相手を信じること。
「信頼」とは条件なしで相手を信じること。

『相手を条件なしで信じることができなければ、相手は貴方を信じませんよ。』

ここで、ある漫画が頭によぎりました。
松井優征氏の「暗殺教室」です。
「ある日突然、謎の超生物がある学園の落ちこぼれ教室の担任になった。しかも、生徒達はこの担任を暗殺しないといけない」という突拍子もない設定ではありますが、ストーリーはよくできています。
青年は、子供達を愚劣な愚かな存在として扱っていますが、暗殺教室の担任は生徒とひとくくりにせず、子供達一人一人対等に接していきます。
この担任は子供達から信頼を勝ち得ますが、子供達は「大好きなこの担任を、自分たちは殺さないといけないのか?」と・・・・ 苦悶しながら、自分たちで解答を見つけていく。
作品自体は子供向けなのですが、根底に流れている問題は果てしなく深いので一読されることをお奨めします。

さて、アドラー心理学は全ての悩みは対人関係が原因であると考えています。
対人関係の問題を解決するには、如何にして「人から愛されるか」、「愛されるための技術」を磨けばいいのか?
否、必要なのは愛することが大切だとアドラーは説いています。
しかも、自分にとって都合の相手ではなく、ただ全ての対象を愛することが大切だと。

アドラーは「恋に落ちる」現象をだいたんに否定しました。前巻の「嫌われる勇気」では「トラウマ」を否定してましたが、今度は「恋に落ちる」ことの否定です。

大好きで大好きでしょうがない相手といざ恋人になったら、ぞんざいになるという話は珍しくない。
これは、「相手を征服して、自分の思いのままにしたい」衝動を恋だと勘違いしていると言い切ってます。

「怒り」のみならず「愛」も、自分の意思で出し入れできるものだと言えば、反感をかいアドラーの元を離れる人がでるのも納得です。

ちなみに、アドラーの元へ訪れる人の大半が、恋愛相談だったとか。

「先生、どうすればあの人から愛されるようになれますか?」
「愛されようとは思わず、貴方が愛しなさい」
アチャー、「まさに、話がかみ合わない」状態です。

ユングやフロイトとの心理学とここまで違うのは、人は真の意味で相手をコントロールすることが出来ないからです。コントロール出来るのは、自分のみ。
今、自分が出来ることは何なのか? これが出発点なのです。
アドラー心理学は机上の学問でなく、今利用可能のものを使って実践していくものなのです。
信頼されたかったら、自分から信頼する。愛されたかったら、自分から愛する。しかし、前著の「嫌われる勇気」のテーマであったように迎合する気持ちがあったら駄目です。
相手に気に入られれば、相手は「私」を信頼してくれるだろう、愛してくれるだろうと期待をしているのですから。
「信頼」や「愛」は見返りを求めない、無償の行為でなければならない。

アドラー心理学と宗教の違いは、決して弟子をとらず、自らキリストやブッタ如く、目の前にいる人に無償の愛を与えることであろうか。

Posted on 2016/05/07 Sat. 10:08 [edit]

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